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Vol.45 ティラミスを考える

ティラミスを考える

Penso a Tiriamisu





世界中がみんな大好き!

Il dolce piu' amato dal mondo!

シーキューブのティラミスが、日本産のマスカルポーネからイタリア製のマスカルポーネになって美味しさがパワーアップ、ということで、 今回はティラミスについて書いてみようと思う。

ティラミスはイタリア語でTIRAMISUと書く。Tiramisuの「Tira」は引っ張るという意味の動詞、miは「私を」、 そしてsuは「上へ」。つまり「私を引っ張り上げて→私を元気にして」というような 意味のネーミングだというのは、みなさんも聞いたことがあるのではありませんか? あんまり美味しくて元気が出ちゃうのか、それとも卵と砂糖とマスカルポーネのカロリーで血糖値ががーんと 上がって元気が出るのかは知らないけれど、とにかく、 イタリア全国的に人気のデザートであることにはかわりない。

トラットリアや食事を出すバールのデザートメニューには、かなりの確率でティラミスがある。高級レストランになると、シェフオリジナルのデザートを出したいのだろう、いわゆる「ティラミス」は見かけない代わりに、ちょっと独自の工夫を加えた「変わりティラミス」が登場する。チョコレートとコーヒーの変わりにフルーツが使ってあったり、 ヘルシーさを強調するためにマスカルポーネではなくて、何か別のクリームが使ってあったり。

パスティッチェリア(ケーキ屋店)では、ティラミス味のクリームを詰めたプチフールとか、ティラミス味のムースを重ねたケーキ、ティラミス風のミニグラス入りデザートなどなど。 そしてジェラテリアにはティラミスフレーバーのジェラートがある。 これほど人気のティラミスの発祥については諸説あるが、一番有力なのはヴェネト州トレヴィーゾの 「アッレ・ベッケリエ」というレストランだということになっている。

ところが世界中でこんなにも有名で人気のあるスイーツを生んだのはオラが村だ~と自慢したがるのはいかにもイタリア人的で、 調べてみると、トスカーナ説、ピエモンテ説などいろいろと出てくる。

たとえばトスカーナのシエナにて。時は17世紀末から18世紀初頭。当時のトスカーナ大公であったコジモ・メディチ三世がシエナを訪れた記念にと作られたのがティラミスの元となった 「ズッパ・ディ・ドゥーカzuppa di duca」。

Ducaは大公という意味なので、さしずめ「大公様のスープ」だ。スープと言っても食べるスープではなく、 ズッパ・イングレーゼという、これもまた少しティラミスに似たイタリアのデザートにもあるように、スポンジ生地などにシロップをたっぷりしみこませたものを「ズッパ」と呼ぶこともある。 この大公様のズッパがお気に召したコジモがフィレンツェのメディチ家へレシピを伝え、そして全イタリアに広まったという説だ。



ここでちょっと、ティラミスが何で作られているかを考えてみよう。主な材料はマスカルポーネチーズ。

ロンバルディア州名産の、 牛の乳から作られるフレッシュチーズの一種だ。

 そして卵に砂糖、コーヒー、チョコレート。サボイアルディというビスケットにコーヒーをしみ込ませたところに、 泡立てた卵とマスカルポーネを混ぜ合わせたクリームを重ねる、 というのがものすごく大まかだが、ティラミスの作り方だ。


そこで疑問が湧いてくる。

なぜシエナで、遠いロンバルディア産のマスカルポーネ? 当時は冷蔵トラックも、ミラノーフィレンツェを2時間で結ぶ超高速列車もなかったはずだ。

wikipediaイタリア語版を見ると、やっぱり書いてあった。

「ロンバルディア州産のマスカルポーネチーズや、サボイア家(トリノ)生まれのお菓子サボイアルディが17世紀末にシエナで 使ったというのは疑問で、 特に痛みの早いマスカルポーネについてはとても疑わしい」と。

では、イタリア統一直後のトリノ説はどうだろう。

1861年にイタリア統一を果たしたカブール伯を讃えるために作られたのがティラミスであるという。 こちらのほうが100年ぐらい後の話しだし、サボイアルディは自前で使えるとしても、やっぱりマスカルポーネの疑問は解決しない。

こうやって考えていくと、結局ヴェネト説に軍配があがりそうだ。

60年代頃、トレヴィーゾの「アッレ・ベッケリエ」のコックさんが、ヴェネト地方の農家でよく食べられていた卵と砂糖を 泡立てた強壮食(弱った身体に元気をつける食べ物。

卵酒みたいなもの?)にマスカルポーネを加えて作ったデザートだというのが一番納得できる。

60年代頃なら冷蔵車などの輸送手段も ずっと発達していたから、トリノからのサボイアルディビスケットも、ミラノからマスカルポーネチーズも、簡単に手に入ったはずだからだ。

ちなみに60年代より前のイタリアの料理書にはティラミスのレシピは登場していないという。

これもヴェネト説を有力化させる証拠かな。 そしてティラミスという言葉が イタリア語の辞書に初登場した、つまりティラミスがイタリア全国的にポピュラーになったのは、なんと1980年のことだという。


1980年といえば、日本でティラミスが爆発的ブームになったのは1990年だから、たった10年しか開きがない。日本ってとにかく早いんだな、とつくづく感心してしまう。 当時私はまだ日本に住んでいて、ティラミスブームを作った雑誌『Hanako』と同じ出版社で働いていた。

あのものすごいティラミスブームは、今でもとてもよく覚えている。

 そのちょっと後の一時期、巨大ブームの反動か、ティラミスを食べるなんてダサいという風潮がちょっとだけあったが、美味しいものはやっぱり美味しいと、 20年たった今の日本ではティラミス人気は完全に復活している。これはもう、日本のイタリアンのシェフ達やお菓子メーカーの方々が、ティラミスのおいしさを伝えつつ、 磨きあげてくれたおかげだろうと思う。

だからといってはなんなのですが、「アッレ・ベッケリエ」のティラミスは、あれ、こんなものなの? というぐらいのお味。日本のお菓子市場VSイタリアで、 ベスト・ティラミス巡りの旅、 なんていうのも楽しそうだ。


文・宮本さやか フード・ジャーナリスト/イタリア トリノ在住